「寝る脳は風邪をひかない」という本を手に取った。睡眠についての知識を得られると思っていたが、そこに書かれていたのは脳医学者の視点から社会を考察する文章だった。少し肩透かしだったが、読み進めるうちに面白くなっていった。特に「コントラフリーローディング」という概念が心に残った。
「コントラフリーローディング」これは、何もしなくても得られる報酬があるのに、あえて労力をかけて得ようとする行動傾向のことだ。ラットの実験では、ただ置かれた餌よりも「レバーを押して得る餌」を選ぶことが多かったという。努力して得ること自体に価値を見いだすのだ。しかし、動物で唯一ネコは例外だった。ネコは「何かをしないと得られないもの」を選ばず、ただそこにあるものを受け取る。これは怠惰ではなく、合理的で誇りある生き方だと僕は思う。
僕は犬だった。誰かにかまってほしい、愛してほしい、ひとりが嫌だ。だから、たくさんの人に尽くしてきた。地域のボランティア活動にも参加し、誰かの役に立つことで自分の居場所を確かめてきた。自分で言うのも気が引けるが、昔からクラスでも職場でも、集団の中ではそれなりに人気があったと思う。人に囲まれていると安心できたし、求められることが嬉しかった。けれど、その人気の裏側にはいつも「もっと愛されたい」「もっと繋がっていたい」という欲が潜んでいた。人に尽くすことで満たされるように見えて、実は心の奥で渇きを抱えていたのだ。
その欲が、大切な人の気持ちに応えることを難しくしてしまった。あの人は、僕のことも自分のことも、しっかり考えてくれていたのに。僕はその想いを受け取ることができなかった。
多忙な日々で得た対価は確かに価値があった。でも、それ以上を求めたことが悪夢の始まりだった。自業自得だ。だからこそ、問い直したい。だれに愛されたいのか。それは本当に必要なのか。
ネコのような生き方を尊重している。無理に何かを得ようとせず、ただそこにあるものを受け取る。それは「静かな誇り」であり、穏やかな選択だ。犬のように尽くすことも美しい。けれど、誰かの想いを見過ごしてまで欲張るのは違う。
あなたにもないだろうか。誰かにもっと認められたい、もっと愛されたいと願って、気づけば大切な人の気持ちを受け止められなかったこと。人間はネズミや犬のように「努力して得ること」に意味を見いだす生き物だ。でも、ネコのように「ただそこにあるものを受け取る」生き方もある。

検査結果次第だが、僕はネコを迎えようと思っている。残された時間がどれほどあるかはわからない。それでも、ネコと暮らすことで「あるがままを受け入れる」という姿勢を日常に重ねてみたい。無理をせず、あるがままを受け取り、静かな誇りを持って過ごす。その姿をそばで見ているだけで、きっと僕自身も変わっていける気がする。
僕はこれまで犬のように生きてきた。けれど、これからはネコと共に、ネコのように生きてみたい。残された時間を、欲張らず、尊重しながら過ごす。その先にあるのは「だれに愛されるか」ではなく、「今ここにある愛を大切にすること」なのだと思う。


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