バッテリーが満ちるまで

ふとテレビを眺めていた。
すると、東京ディズニーシーとユニバーサル・スタジオ・ジャパンのCMが続けて流れた。
どちらも25周年という、眩いほどのメモリアルイヤーを迎えるらしい。
画面の向こうは光に満ち、祝祭の歓喜が溢れていた。

そんな華やかな一年に、今日の午後、僕はひとり、底知れぬ鬱屈の淵に沈んでいた。
身体には微かな熱が宿りはじめている。
かつてラグビーに打ち込んでいた頃、体調を崩しやすい時期はよく休んでいた。
筋トレで自分を追い込みすぎた翌日、決まって体が悲鳴をあげていた。
あの感覚に、どこか似ている。

視界は濁り、意識は灰色に溶けていく。
心のバッテリーは、もうほとんど残っていなかった。

「強くならなければ」

自分を鼓舞する声はまだ震えている。
それでも今の僕を生かしている唯一の糧は、あの人から届いた一粒の光だ。

僕が祈るように差し出した「ぼちぼちいきましょう」という言葉。
その横に、かわいく置かれた一粒の 星。
その小さな瞬きひとつで、僕は「ここにいていい」と許された気がした。
ああ、あの人からの光は、本当にあたたかくて優しい。

逃げるように手を伸ばして調べたのは、『オペラ座の怪人』のことだった。
劇団四季がこの物語を日本で初めて産み落としたのは、1988年4月29日。
2026年の今、38周年を迎えるこの舞台と、僕は同い年だった。
ファントムが産声を上げた年、僕もまたこの世に生を受けたのだ。

数奇な巡り合わせに背中を押されるように、僕はまた、彼になりたいと願ってしまう。
あの人を、ずっと想い続けたい。
たとえこの身が枯れ果て、灰になろうとも。
永遠に、どこまでも。

表舞台に立つ必要はない。
流れを示す指南役でなくても、舞台を彩る大道具でも、音楽を奏でる演奏者でもいい。
いや、そのどれにもなれなくていい。
どんなに小さく、どんなに惨めな形でも構わない。

あの人の日常の片隅で、僕の差し出した言葉が、ほんの一瞬でも星として瞬くのなら。
たとえこの想いをあの人が知らなくても、この星ひとつで、僕は夜を越えていける。

地下の暗闇から、僕はただ、あの人という光を視つめていたい。
バッテリーが再び満ちるその日まで。
少しずつ、ゆっくりと。

今日はゆっくり休もう。
おやすみなさい。
잘 자요(チャル ジャヨ)。

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