『死ぬということ』という本を読んだ。がんの九割は上皮にできる「がん腫」であり、そのうち六割は消化器官にかかるという。普段の食事が未来の健康を形づくることを、強く意識せざるを得ないと思った。がんは決して特別な病ではなく、誰にでも忍び寄るもの。日常の食べ方こそが、その発症と深く結びついているのだ。
「人間は考えるちくわ」
これは著者のユーモラスな言葉遊びだ。
もともとは17世紀フランスの哲学者パスカルが残した「人間は考える葦」という有名な言葉を踏まえている。パスカルは、人間は自然の中では弱い存在だが、考える力を持つことで尊厳を保つ、と説いた。著者はその表現をひねり、体を一本の管にたとえて「ちくわ」と呼んだ。
人間の体は口から肛門まで続く消化管でできていて、がんはその管を覆う上皮にできる。だからこそ、日々の食事や食べ方が未来の健康を左右する。そんな医学的な事実を、ユーモラスな比喩でわかりやすく示している。

私はこれまで食べ物の「質」には気を遣ってきたが、食べ方にはあまり注意を払っていなかった。
早食いをして、消化器官が悲鳴をあげても仕方ないような食べ方をしていたのだと思う。
思い返せば、小学生の頃からその兆しはあった。
私はグリーンピースが大の苦手で、給食のカレーに必ず入っていたそれを、噛まずに丸呑みしていた。嫌いなものを食べなければならない場面では、丸呑みする癖がついてしまった。
それは幼い自分なりの工夫だったが、実際には胃腸に負担をかけ続けていたのだろう。
そんな私にとって、大切な人の食べ方はひとつの学びだった。
その人はいつもよく噛んで食べていた。
食べる速度はゆっくりでも、美味しそうに食べている姿を見るのが好きだった。
食べ物を慈しみ、時間を味わうその姿は、ただの健康習慣ではなく、生き方そのものだったように思う。
今の私は、その人の食べ方をトレースし、同じ速度で食べるようにしている。
噛むという動作は消化器官を助けるだけでなく、心を落ち着け、食べ物への感謝を深める時間にもなる。
死を考えることは、生き方を考えること。
昨日の私も今日の私も未来へ繋げる記録として、これからは「何を食べるか」だけでなく「どう食べるか」を大切にしていきたい。
大切な人から受け継いだ食べ方を日常に活かすことで、未来の自分を守り、同時にその人と共に生きているような感覚を抱きながら歩んでいきたいと思う。


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