僕が僕であるために

音楽

久しぶりに、大切なあの人に会えた。
待ち合わせ前に送ったメッセージに返ってきた光は、どこか緊張しているように見えた。

だから向かう前に、三つのことを胸に置いた。
泣かないこと。
口角を上げること。
目を見て話すこと。

冬の空気を吸い込みながら、その小さな決意をそっと整えた。

目の前に立ったあの人は、変わらない光をまとっていた。
その姿を見た瞬間、胸の奥がゆるみ、決めていたことが揺れかけた。
こぼれそうになった涙を、静かに飲み込んだ。
手袋越しでも寒さが伝わってきて、なるべく外を歩かせたくないと思った。

お寺へ向かう道では、細かな雪が舞っていた。
けれど、お守りを返納する頃には雲がほどけ、薄い光が差し込んだ。
あの人がペットのお守りを勧めてくれたけれど、
まだ迎える準備ができていない自分がいて、そっと手を引っ込めた。
その揺れも、今の自分のかたちだと静かに受け止めた。

お寺を出ると、あの人は僕が繋いだ星を「見たい」と言ってくれた。
お店に入ると、施工の時の慌ただしさとは違い、
人を迎えるための柔らかな空気が広がっていた。
その空間に、あの人の視線が静かに触れたことが、胸の奥を温めた。

食事の場所は掘り炬燵があると聞いて、そこに決めた。
少しでも足を休めてほしかったから。

食事のときも、あの人の食べ方は変わらず丁寧で、
その所作ひとつひとつに、昔と変わらない優しさを感じた。

お互いに交わした言葉はどれもまっすぐで、
僕が知りたかったこと、あの人が知りたかったことが、
ゆっくりと同じ高さに重なっていった気がしていた。

本音で向き合えたのは、これが初めてだったのかもしれない。

カラオケの話になり、尾崎豊さんの推し曲を教えてもらった。
帰りのタクシーでその曲を聴いた。
「僕が僕であるために勝ち続けなければならない」
その言葉の“勝ち”の意味を考えた。
僕が僕であることが勝ちなのか。
君が君であることが勝ちなのか。
揺れを抱えたまま歌われるその声と、
ギター一本で歌う姿は、汗を光に変えながら、とても胸に響いた。

食事のあと、絵馬を書いた。
あの人の描いたうさぎは、心がふっとほどけるような、やわらかい線だった。
そのそばにかけられた自分のサモおも、どこか嬉しそうに見えて、
二つの絵が並んでいるだけで、やわらかい温度がまた胸に戻ってきた。

あの人に手紙を書いてもらえた。
気持ちがすっと入ってくる、あの人の丁寧で綺麗な字。
ひと文字ひと文字に呼吸があって、
その余白の柔らかさごと、あの人の人柄が静かに伝わってきた。

言葉以上に、あの人の温度を感じる字だった。
その中には尾崎豊さんの曲のことも書かれていて、
あの人が音楽と言葉を大切にしていることが、改めて胸に沁みた。

今日、あの人と向き合う中で、何度も心が揺れた。
でも、その揺れは弱さじゃないと思う。
大切に思うからこそ、心が動く。
迷いも、戸惑いも、優しさのかたちだと気づいた。
そして、あの人も同じように揺れていることを感じた。
その揺れを共有できる関係は、きっと静かに強くなっていく。

僕が僕であるために。
君が君であるために。
その答えは、急いで掴むものではない。

揺れながら進むことを、弱いとは思わない。
だってそれは、心が生きている証だから。

だからこそ、これからも、ぼちぼちの歩幅で。
光の差す方へ、静かに積み重ねていけばいい。
その歩みの中で、尾崎さんの歌がそっと示してくれた意味を、ゆっくり感じていけるのだと思う。

あの人は無事に帰れただろうか。
寒い日が続く。
どうか、あたたかく過ごせますように。

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