同じ痛みを知るからこそ

映画

今日は朝から空気が澄んでいて、空は一面の青だった。
その青さに背中を押されるように、少しだけ外の空気を吸いに出た。

歩きながら、以前よく見ていた“7,000人に追われる夢“を思い出す。
最近はあの夢を見なくなった。呼吸が少しだけ深くなったような、そんな変化が自分の中にある。

冬の匂いと静けさに包まれながら歩いていると、心の輪郭がゆっくり整っていくような感覚があった。

帰宅すると、大切なあの人から光が届いていた。
画面を開いた瞬間、胸の奥にそっと灯りがともるような感覚があった。
「走ってください」と言われているような前向きな光。
無理のない距離で寄り添ってくれている気持ちを感じる。
言葉以上のものが伝わる瞬間というのは、確かにあるのだと改めて思った。

来年のフルマラソンへ向けて、もう一度前へ進みたいと思った。

声を思い出しながら、右耳に手を添えて横になると、今日も不思議な夢を見た。

夢の中の相手は、ラブライブ!サンシャイン!!(Aqours)の高槻かなこさん。
ファンの方には恐縮だが、想いを伝える場面があった。
自分にとってはまさに夢のような出来事だった。

返事は夜にと言われ、一度それぞれの仕事へ戻る。
自分は鉄骨と煙に包まれた建材の職場へ戻り、重たい空気の中で静かに夜を待った。

夜になると、舞台はチューブ型の水族館へ移る。
青い光が揺れるアクアリウムの中で、彼女はオッケー、と答えてくれた。
その瞬間、大きな白鷺が一斉に飛び立ち、
プレゼントしたクマのぬいぐるみをくわえて空の彼方へ運んでいった。

目が覚めた後も、胸の奥には不思議な、そして淡い余韻が残っていた。
夢の意味をネットで調べながら、自分なりに噛みしめていく。

高槻かなこさんが夢に現れた理由は、
きっと“同じ痛みを知っている人”だからだろう。
Aqoursファイナルのドキュメンタリーで見た、
ダンスレッスン中に突然姿を消したあのシーン。
マネージャーから戻らないかもしれないと告げられた瞬間のメンバーの表情。
その後に続いた、彼女の適応障害の苦しみ。

コロナ禍で何もできず、
自分のアイデンティティを問い続け、
どこにぶつけたらいいのかもわからない、置き場のない気持ち。
歌いたいのに歌えない。
立ちたい場所に立てない。
そのどうしようもない痛み。

実は、Aqoursの中で一番応援していたのは彼女だった。
ニコニコ動画の時代から知っていたからこそ、
ファンとして見守っていたあの時期の苦しさは、胸に刺さるものがあった。

けれど、自分が同じ適応障害になってからは、
彼女の気持ちがもっと深く、痛いほどわかるようになった。
誰だってなる可能性のある病気だからこそ、なおさら。

あの姿を思い返すと、
自分の働けない辛さと重なる部分が、
まるで同じ場所に傷があるかのように響いてくる。

夢の中の情景を思い出し、気づけばまた涙が溢れていた。
どうして今、こんな夢を見たのか考えた。
彼女の痛みを知っているというより、
わかるからだ。
その感覚が、夢の中で感じた淡い温度を
より深く、静かに照らしていたのだと思う。

あの夢の中でのオッケーは、
ただの返事ではなく、
同じ痛みを抱えた者どうしが
一瞬だけ重なったような、やわらかな共鳴だったように感じた。

返事が夜となったのは、すぐに答えを出せない自分自身の心の揺らぎを映していたのかもしれない。

白鷺が飛び立つ光景は、
自分の中の優しさや希望が、どこか新しい場所へ運ばれていくように見えた。

しばらくその余韻の中に身を置いていた。
市の夕方を知らせるサイレンの音とともに、
だんだんと現実へ戻っていく感覚があった。
涙のあとに残った温度を抱えたまま、何かを始めたくなり、
机に向かい、ゆっくりと語学の勉強を始めた。

夢の影響もあって、今日はいつもより言葉のことを考えていた。
インドに寄せて英語を選ぶか、
K‑popに寄せて韓国語を選ぶか。
どちらも大事にしたい理由があって、少しだけ迷った。

けれど、今の自分の手が自然に伸びたのは韓国語だった。
語順が近く、言葉の並びが身体にすっと馴染む。
その優しさが、今の自分にはちょうどいい。

焦らず、でも確かに前へ進んでいる実感が心地よかった。
こうした小さな積み重ねが、
揺れやすい自分を静かに支えてくれている。
他にも、同じ痛みを知る人が背中を押してくれているように感じながら。

Let’s keep running together.
함께 달려갑시다.(ハムケ ダルリョガプシダ)
(共に、走っていきましょう。)

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