今日は少しだけ、新しい自分を試してみたい気分だった。
復職に向けて身体を慣らしている最中、以前の場所から届いた突然の連絡。画面に表示された名前を見た瞬間、過去に引き戻されそうになったけれど、僕は静かに、その連絡を受け取らないことを決めた。
後悔はしていない。むしろ、自分の心を守れたことに少しだけ自信が持てた。ただ、その選択のあとに残ったわずかな揺れを、完全に鎮めておきたかった。
真っさらな気持ちで、大切なあの人から預かった「日向ぼっこ!」という大事なミッションに向き合いたくて、僕は初めて一休寺へと足を運んだ。

近所にありながら、これまで一度も訪れたことがなかった場所。枯山水の名園として名高いその庭を一度見てみたいという思いと、何より、あの人からのミッションを果たすには、これ以上ない場所に思えた。
今の自分を整える答えを探すように、僕は初めてその門をくぐった。
境内に入ると、一休和尚の筆による「諸悪莫作・衆善奉行(しょあくまくさ・しゅぜんぶぎょう)」という言葉が刻まれた大きな石碑が目に飛び込んできた。

とんちで知られる一休さんだが、その根底には「まっすぐに生きる」「心を澄ませる」という仏教の原点がある。派手な哲学ではなく、当たり前の善行を積み重ねることこそが心を整える道なのだよと、優しく諭されているような気がした。
幸い、美しい枯山水の庭園を拝観しているのは僕一人きりだった。

ここで、大切なあの人からのミッションを一つクリアする。お日様をしっかり浴びて、日向ぼっこをすること。
方丈の軒下に座り、じっと庭を眺める。春の日差しは想像以上に力強く、履いていた黒い靴下が熱を吸い込んでいく。
脱ぎたくなるほど熱くなった足元に、身体が生きている実感を覚えた。庭の木々も、心なしか温かさを帯びているように見えた。
御堂の裏手に回ると、先ほどまでの暖かさが嘘のようなひんやりとした日陰が広がっていた。
古びた木材が軋む音、遠くで聞こえる鳥のさえずり。静寂の中で、ふと目頭が熱くなる。
「だいじょうぶ?」
今はそばにいない、あの人の声がこだました気がした。僕は慌てて日向に戻り、冷えかけた体と心を温め直した。
左の頬にあたる風はまだ少し冷たいけれど、体は日差しの温もりを覚えている。
宝物館では、一休が描いた梅の絵に出会った。
「氷解けて、梅一輪に春の兆しを見る」という詩。
今、僕が目の当たりにしているこの光景こそが、まさにその“兆し”なのだと感じた。
冬の厳しさに耐え、氷が解け始めた水辺で一輪の梅が春を告げるように、僕の心も少しずつ解け始めているのかもしれない。
本堂の裏手に回ると、箒を手にした一休法師の銅像が静かに佇んでいた。

その姿を眺めていると、どこからかウグイスの美しい声が聞こえてきた。
また、目が潤んだ。
ゆっくりと深呼吸をし、今のありのままの願いとサモおを絵馬に描き、奉納した。
一休寺を後にする足取りは、来る時よりもいくぶん軽かった。
ぼちぼちとした歩幅でいい。
このはしわたるべからず。

端っこではなく、自分の心の真ん中を真っ直ぐに歩けるように。
春先の向日葵のように、胸を張って生きていけるように。

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