午後は実技講習、そして試験本番だった。
クレーンの操作は、想像以上に奥が深い。北から南へ、西から東へ。荷を揺らさないよう目的地まで運ぶ。ほんの少しの操作ミス、スイッチを押すタイミングのズレが、荷を大きな振り子のように揺らしてしまう。
共に受講していた若い二人組は、ミスを連発していた。そのたびに講師の怒号が響く。
「だから早い!」「次は遅い!」「どうしてできない!」「謝る暇があるなら実行しろ!」
実際の建築現場を経験してきた自分には、こうした厳しい職長の姿は見慣れた光景だ。だからこそ、臆することなく技能の習得に集中できた。だが、おそらく新卒か会社に言われて来たのであろう彼らにとっては、パニックに近い状態だったはずだ。
講師の言葉は荒いが、その根底にあるのは命を守るという執念だ。
クレーンを操ることは、自分と他人の命を運ぶこと。その責任の重さを、講師は叩き込もうとしていた。
試験直前、講師の判断によって予定が変更された。
全体の時間が押した影響で、僕の練習走行がそのまま「本番」として扱われることになったのだ。
一発勝負という、予期せぬ試練が目の前に現れた。
クレーンへ向き、指差呼称。
「作業開始。定格荷重 2.8t、質量 0.2t」
「フック、ヨシ。玉掛け、ヨシ。地切り、ヨシ」
一つひとつの動作を丁寧に行う。南から北への移動でわずかに荷が揺れたが、落ち着いて一度南、そして北へとスイッチを入れ、揺れを修正した。
「着床、ヨシ。安定、ヨシ。作業終了」
講師と目が合った瞬間、その顔がほころんだ。
「〇〇さん、あとは座って見ていていいよ」
合格だった。緊張の糸が切れ、胸を撫で下ろした。
やり切った。だが、まだ終わりではない。
週明けには玉掛けの試験が控えている。建設・製造の現場は、常に死と隣り合わせだ。今日も凄惨な事故の話をいくつも聞いた。
僕は、こうした現場を支える役員になるために、あの大好きだった場所を離れる道を選んだ。誰に言われたわけでもない。自腹で費用を払い、自分の意志で、自信をつけるために岐阜へ来た。
それなのに、また焦ってしまった。
大切なあの人を驚かせてしまった。
自分はいつもこうだ。卑屈な自分が顔を出し、嫌気がさす。
精神を病み、朝晩の薬を欠かせない日々。
どうして自分はこうなんだろう
そんな問いが頭を離れず、今夜無事に眠れるのか、そもそも無事に帰れるのかさえ不安になる。
だが、今日のクレーン操作で学んだことがある。
揺れを止めるには、慌てず、適切なタイミングでスイッチを入れ、修正すればいい。心も同じ。そう思いたい
大きく揺れ動くこの心を、なんとか定位置に。
「心のクレーン」を必死に操作し、揺れを治めながら、今日は静かに帰路につこうと思う。

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