あの人からの光はまだない。
午前中の柔らかな光に誘われ、桜並木を歩いていた。まだ満開には少し早い枝先を眺めながら歩を進めていると、ふと視線が足もとに落ちた瞬間、小さな再会があった。
草むらに点々と咲く、鮮やかな水色の花。オオイヌノフグリだ。

この花を見るたびに、小学生の頃、隣に住んでいたおばあちゃんの言葉を思い出す。「これはね、『星の瞳』とも呼ぶのよ」と教えてくれた、あの穏やかな声。今の僕には、その別名の方がずっとしっくりくるし、この可憐な姿には何よりも似合っている。
青い花びらは、一日のうちのほんの数時間だけ開き、夕方にはそっと閉じてしまうらしい。その慎ましさゆえか、この花に冠された花言葉は、どれも静かでやさしいものばかりだ。
- 忠実
- 信頼
- 清らか
- 慎ましやか
あの朝、歩道を箒で掃いていたおばあちゃんと立ち話をした記憶が、水色の花びらと重なる。小さくも綺麗な水色をしたこの花を、昔から見つけるとつい見つめてしまう。足もとに咲く小さな青い光は、派手さこそないが、今日という日を静かに支えてくれるような確かな存在感がある。そんな花に気づけた日は、「自分の歩幅で進めばいいのだ」と、そっと背中を押されたような心地よい安らぎを覚える。

午後は家に帰り、静かに読書をすることにした。手に取ったのは、星の本。ページをめくるうちに、ふと一つの問いが目に留まった。
「自分自身の『住所』を、どこまで正確に記述できるだろうか」
番地や市区町村といった日常の枠組みを超え、その本は僕たちの存在を、より広い視点で書き出してみせた。
ラニアケア超銀河団、おとめ座銀河団、天の川銀河、太陽系、第3惑星、地球。
これが、僕たちが今立っている場所。この住所をなぞってみると、自分が果てしない旅の途上にいるような、静かな高揚感が胸をかすめる。
日々の生活に追われていると、どうしても視界は狭くなりがちだ。仕事への不安や将来への焦燥感が、世界のすべてであるかのように思えて、少しだけ息苦しくなる夜もある。
そんな時はあの人に教わった深呼吸をしながら、本を閉じて窓の外を眺める。宇宙の広さにそっと想いを馳せてみると僕が抱える「現在地」への悩みも、少しだけ小さな粒のように感じられる。
足もとに咲く「星の瞳」と、頭上に広がる広大な「住所」。どちらも、目に見えるものだけが世界のすべてではないと教えてくれている気がする。
心を閉ざさず、ほんの少しだけ想像力を外へと広げてみる。それだけで、明日からの景色は、星が瞬くように静かに、けれど確かに変わっていくのかもしれない。
僕の現在地は、思っている以上に自由で、そして美しい。そう信じたい。





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