空白の夏でも

音楽

明日は坂井泉水さんの35周年ライブ。
大切なあの人は来られないようだ。
一緒に楽しめたらよかったけれど、
あの人の分までしっかり味わってこようと思う。
LINEでもそう伝えた。本心だ。

それでも、どこかで「もしかしたら会えるかもしれない」と
期待していた自分がいた。

来れない理由は聞けなかった。
仕事が休めなかったのか、チケット代が高かったからなのか、
それとも他の理由があったのか――

差していた光の照度が落ちたような気がして、また涙がこぼれた。
胸が苦しくて、また沈んでしまいそうになる。
話したい。笑顔が見たい。
ただそれだけなのに、こんなにも苦しい。

LINEを返信したら、あの人から
ピンクの『お花』の光をもらえた。
はなまる、という意味なのだろうか。
褒めてくれたのかな。喜んでいいのかな。
前向きに受け取っていいのだろうかと迷ってしまう。

BTSと蓮の空のライブ、誘ってみたい。
次はいつ会えるのだろう。
辛い。苦しい。
胸の奥がざわついて、また薬に手を伸ばしたくなるほどに。

それでも、次にまた会えたとき、
直接はなまるをもらえるように、胸を張っていられる自分でいたい。

揺れながらも、
その場を共にしたように感じてもらえるほど、
深く心に刻んでライブを受け取りたい。

明日のライブをどう受け取りたいか考え、
もっと歌が身体に入るように、
坂井泉水さんの言葉を深く知りたくなった。

その気持ちに背中を押されて、
kindleで『ZARD 坂井泉水の詞を読む』という電子書籍を購入し、
読み始めている。


冒頭で、坂井さんは2004年のライブツアーで
「私はいつもほんとうに言葉を大切にしてきました。
音楽でそれが伝わればいいなと願っています」
と語っていたと書かれていた。

2004年のツアーは、大切なあの人と何度も映画館へ観に行ったものだ。
What a beautiful moment Tour

MCで歌詞を間違えたことを、坂井さんが素直に話していた姿が印象的で、
その時のシーンは今でも強く覚えている。

言葉を大切にしていたからこそ、
間違えた自分を許せなかったのかもしれない。

坂井さんの姿を思い返すと、
大切にしていたからこそ生まれる痛みが、
自分にもよくわかる。

本の内容は、坂井さんの曲との出会い、
他作品との比較、そして言葉の技法など、
多方面から坂井さんの詞を読み解く構成になっている。

すべてを読み終えたわけではないが、
読んだ中で特に心に残っているのが、
『来年の夏も』と、シェイクスピア劇『じゃじゃ馬ならし』の
関係性についての話だ。

『来年の夏も』は、僕の大好きな曲のひとつ。

本では、劇の中で描かれる
「強がりをまとった女性が、相手の誠実な愛情に触れて
少しずつ心を開いていく」というテーマが、
曲の
“強い女の看板 背負ってた
あなたの愛のレッスンで 弱い自分も好きになれたの”
というフレーズと響き合う、と説明されていた。

劇にはさまざまな解釈があるけれど、
著者は「互いに歩み寄る愛の物語」として読み解いていて、
その視点で見ると曲の世界がより深く感じられる。

さらに、曲に出てくる
“恋の予感は 土曜日の映画館…”
という詞から、
二人が古い映画館で『キス・ミー・ケイト』
(『じゃじゃ馬ならし』をもとにしたミュージカル映画)を
観たのでは、と想像するくだりがあって、
そんな読み方もあるんだと思えた。

一節を読む中で、
曲中の二人のように、あの人とまた映画が観たい。
そう願ってしまい、涙がまたあふれてしまった。

気持ちが揺れて、いまは読み進める手が止まってしまっている。

坂井泉水さんの曲を聴くと、どうしてもあの人を思い出す。
明るい曲なら、あの人の笑顔を。
切ない曲なら、自分の涙を。

あの人には、笑顔でいてほしい。
その笑顔が、僕の心をいちばんあたためてくれる。

だから明日は、あの人のことを思いながら、
一緒に過ごした日々を胸に、歌に耳を澄ませたい。

そして、またあの人と過ごせる日が来たら、
その時はあの人が笑顔になれるように。

今は涙が多いけれど、
胸を張れる自分でいられるように、
日々を積み重ねていきたい。

今年の夏は空白だけれど、
もしあの人がとなりにいてくれたなら、
どうか、その笑顔が続いていますように。

君が君であるために。
そして、僕が僕であるために。

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