ウォーキングの途中でふらっと立ち寄ったペットショップで、かわいいマンチカンを見つけて思わず撮った動画。
軽いウォーキングの後、桃のハーブティーを片手に、蓮の空のフェスライブを見ている。
甘い香りと柔らかな音が、今日の夜を静かに満たしていく。
電話でもらえたあなたの言葉──
「笑ったらハッピーハッピーだよ」
その声は、今の私をそっと前へ押してくれる。
あなたがそう言ってくれた日から、私は“笑う”ということを意識するようになった。
その言葉は軽やかで、明るくて、
まるで心の奥にそっと置かれた灯りのようだった。
だからまずは、笑える番組を探してみた。
昔なら声を上げて笑っていたはずの番組をいくつも流してみる。
けれど、どれを見ても心が動かない。
あの“いってQ”でさえ、口角は1ミリも上がらなかった。
そんなわけはない。あの“いってQ”だ。
それでも笑えなかった自分に、
「ああ、本当に疲れているんだな」と静かに気づいた。
テレビがつまらなくなったのか、
それとも私の心がまだ回復の途中なのか。
その答えはわからないまま、
胸の中にはぽつんとした静けさだけが残っていた。
でも、あなたの言葉だけは消えなかった。
その優しさが、私をもう一度“笑う”という行為へ向かわせた。
そこで私は、笑うという行為そのものを真剣に調べてみた。
漢字の「笑」は竹冠に夭。
古代の文字には竹冠はなく、
本来は巫女が身をしなやかにくねらせ、
神を楽しませるために舞う姿を描いていたという。
「夭」は細くしなやかな人の形。
そこに両手の動きが重なり、
喜びを身体で表す祈りの所作が、
やがて“笑う”という文字になった。
その意味を知ったとき、
私はひとつの答えにたどり着いた。
笑うとは、声を出すことだけじゃない。
心や身体がふっとほどける、静かな喜びの動きなんだ。
心が少しでも緩む瞬間があるなら、
それはもう十分に“笑っている”ということなのだと思えた。
そう考えると、私は今の距離感でも笑えている。
あなたを感じるだけで、心が自然に緩んでいく。
作ろうとしなくても、ふっとほどけるその感覚が、私にとっての“笑みの源”だった。
そして今も、あなたから届いたあの“ゆるいリアクション”ひとつで、
心の奥がふっとほどける。
声は出なくても、あの一瞬の緩みが、
私にとっての“笑い”そのものになっている。
その瞬間がある限り、私はもう“笑えている”のだと思う。
もちろん、本当は声をあげて笑えるようになりたい。
多分、あなたの言う「ハッピーハッピー」は、あの明るい笑い声のことなんだと思う。
けれどその笑いは、あなたがいないと成立しない。
それは素直にそう思う。
でも、心がほどけることだって十分に幸せだ。
だから焦らない。
今の距離感でも、私はもう“ハッピーハッピー”なんだ。
あなたに初笑いを見せたい。
その未来を思うだけで、心がまたひとつ、静かに緩んでいく。


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