事務所の暖房をつけなくても一日を過ごせた。
17時を過ぎても空は暗くない。
季節がゆっくりと次の段階へ移ろっているのだろうか。
会社を出た瞬間、ふと東の山稜へ視線が吸い寄せられた。
その向こう側で、あの人が今日もあたたかく穏やかに過ごせているだろうかと、
そんな想いが静かに胸をよぎった。
確かめようのないことなのに、なぜかその想いだけで心が少しあたたかくなる。
ホームセンターへ向かう足どりは、軽くも重くもなく、
ただ一歩ずつ“いまの自分”を確かめるような歩き方だった。
揺れながらでも前へ進めているという感覚が、ほんのわずかな安心をくれる。
その揺れごと歩いていけることが、いまの自分には大切だと思えた。
植物売り場に着くと、湿った空気がふわりと肌を撫でた。
土と水の匂い、整然と並ぶ黒のポリポット。
変わり続ける日々の中で、どこかで「変わらないもの」を求めていたのかもしれない。
どうせなら未経験の植物にしよう。
そう思えたのは、挑戦したい気持ちがゆるやかに戻ってきている証のように感じたからだ。
水の流れるポリポットに揺れていたアスパラガスを手に取ると、
繊細な葉の一本一本に、静かな生命力が宿っているように見えた。
折れてしまいそうなのに、どこか芯の強さを秘めている、不思議な植物だった。
花言葉はあえて調べなかった。
意味よりも、まず“存在そのもの”を受け取りたかったからだ。
けれど帰宅後に何気なく調べてみると、
「なにも変わらない」「耐える恋」という語が現れ、
いまの自分と重なる部分があって少し驚いた。
それでも心は揺れず、むしろそっと腑に落ちる感覚があった。
「なにも変わらない」という言葉は、
百年先でも変わらずに抱いていたい想いに、どこか通じている。
そして「耐える恋」という言葉には、やはり少し違和感があった。
恋を“耐える”のではなく、
焦らず、止まらず、ぼちぼちと歩いていくほうが、
いまの自分にはしっくりくる。
未来を決めつけない。
ゆえに、このアスパラガスにも意味を持たせたり、
相棒のように位置づけたりはしない。
この“余白”の広さがちょうどいい。
ただ、その生命力にはあやかりたいと思う。
揺れながらも天へ向かう姿に、
自分の回復の過程をそっと重ねてみる。
ハイドロカルチャーの色は青を選んだ。
澄明な青も、深い青も、どれも心を落ち着かせてくれる。
雲ひとつない青空を仰ぐと、忙しい日でも呼吸が自然と深くなる。
心の奥をそっと照らす色だ。
その青は、あの人と選んだ安全靴の色でもある。
そばに置くだけで、視線が少しだけ前へ向く。
青には、静けさと支えの両方がある。
言葉にしなくても、背中をそっと押してくれる光のようだ。
その光が、いまの自分を静かに整えてくれている。
今日は画材もいくつか購入した。
製図用のトレーシングペーパー、マスキングテープ、
そして念願だったA3サイズのトレース台。

線を引くと、自分の揺らぎがそのまま線に現れる。
揺れていないか確かめたいとき、一本の線を描く。
その線を伸ばす一年にしたい。
現在地を把握するためにも、この道具が必要だった。漫画やイラストにも関心が芽生えていて、
いつか「サモお」の漫画を描けたらと思う。

レザークラフトにも心が動いた。
一点物のキーケースや小銭入れを作ってみたい。
ものづくりの仕事をしている以上、創作意欲は絶やしたくない。
「唯一無二」という価値に心が動く。
誰も誰かの代わりにはなれないという当たり前の事実が、
ものづくりへの興味をそっと後押ししている。
帰宅してアスパラガスを植え替えた。
手に取ったときの力強さは影を潜め、
折れそうなほど細い茎を守りたくなった。

青と緑の調和は想像以上だった。
凛とした佇まいの中に、ほのかな温もりがある。
ペーパークラフトの鼓門の横に置くと、松のようにも見えた。
常緑の松は、金沢駅の凛とした空気と響き合う。
写真に収めると、また別の表情を見せた。
細い茎と葉が、地元で見慣れた竹のしなり方に重なった。
金沢駅に竹はないのに、
机の上では“金沢”と“地元”が自然に混ざり合っていく。
旅の記憶と原風景が、ひとつの小さな景色として並び始めている。
一人の部屋に、温もりがひとつ増えた。
その静かな歓びが、胸の奥にじんわりと広がった。
今日の空を思い返すだけで、心が整っていく。
「自分の中に確かに存在している光」があるという安心感は、
言葉にしなくても、ずっと支えになっている。
空を仰ぐと、身体の力がふっと抜ける。
過去に見た空と今日の空が連なっていくような感覚がある。
光は、言葉にしない支えだ。
未来を決めつけない。
今日の微細な変化や、心の温度の揺らぎを大切にしながら、
ぼちぼち進んでいけたらいい。
アスパラガスのように、揺れながらも向く方向だけは変えずに。
光に照らされながら、育っていく。
そんな日々を、これからも綴っていくつもりだ。
昨日の私も今日の私も未来へ繋げる記録として。


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