窓から差し込む光が、部屋の隅で静かに形を変えていくのを眺めていた。時計の針が一周、また一周と無機質な音を刻む。お昼過ぎまで、僕はただその流れの中に身を任せ、ぼーっとしていた。
心に薄く張った氷のような違和感を、あの人は遠くから察してくれたのだろうか。画面越しに届いたのは、案じるような温かい光だった。僕の弱った部分を見透かしたようなその優しさに、申し訳なさと、それ以上に何かをしなければという微かな活力が胸に宿る。
僕はゆっくりと布団から這い出し、止まっていた時間を動かすように深く呼吸をした。まずは、後回しにしていた些細な日常を片付ける。そして、以前から考えていた部屋の模様替えに手をつけることにした。
僕のデスクは、ウォークインクローゼットの中に収まっている。その狭さが心地よかったはずなのに、今日は入り口の扉が、外の世界との壁のように感じられた。工具箱から六角ビットを取り出し、固定されたネジを一つずつ緩めていく。

カチリ、と音がして扉が外れた。開放されたデスク。間口が広くなったその空間に、ふと緑が目に留まった。そこにも自然はあったのだ。観葉植物のアスパラガス。水が少しだけ減っていた。僕はその喉を潤すように水を足してあげて、君は笑えてる、と小さな独り言として声をかけた。

植物に話しかける自分に、ふと、これは独り言だろうか、と自問する。けれど、喉の奥に溜まっていた言葉を外に出すことで、少しだけ心が軽くなった気がした。
心配をかけてしまったあの人へ、メッセージを送った。それは精一杯の強がりだったけれど、あの人はその裏側にある僕の震えを、いとも簡単に拾い上げてくれた。
少し話します?
嬉しい、なんて言葉では足りないくらいの喜びが、指先まで伝播していく。やがて画面が震え、あの人からの着信が告げられた。緊張で指がもたつき、ようやく通話ボタンを押せたのは三度目のコールの時だった。
凍えるような夜の空気の中、家路を急ぐはずの時間。冷たい風の音とともに届く声はどこまでも優しく、冷え切っていた身体が、耳元からじわじわと熱を帯びていくのがわかった。耳が喜んでいる。声が体温を運んでくる感覚。胸の奥がぎゅっと熱くなり、感謝でいっぱいになった。
あの人は、僕に空を見ましたかと尋ねてくれた。朝の空には月が出ていること。青空の下で日向ぼっこをするのもいいし、夜の星空も綺麗だということ。一つひとつの言葉が、部屋に閉じこもっていた僕の視線を、窓の外、そして遥か上空へと連れ出してくれる。
僕たちは、少しだけ星の話をした。冬の大三角が空を飾る季節。僕は星座盤の記憶を辿り、こいぬ座のプロキオンが見えるかもしれないと伝えた。あの人はスバルのことを聞いてくれたけれど、その時の僕は聞き返すことしかできなかった。
電話を切ったあと、すぐに調べる。スバルとは、プレアデス星団の別名だった。こうして星の知識が自分の中に増えていく感覚が、とても愛おしい。何より、あの人と同じ空を見上げながら、星の断片を共有できたことが、何物にも代えがたい幸福だった。

あの人は僕に、三つのミッションをくれた。朝の月を仰ぐこと。昼の太陽を浴びること。そして夜の星を眺めること。何もしなくていい、と言われるより、空を見て、と言われる方が、今の僕には救いだった。明確な目標ができたことで、僕はずっと忘れていたやりたいことを思い出す。
そうだ、僕は星を見に行きたかったのだ。今日の星を、この目に焼き付けようと思う。
今夜は、この温もりを消さないように眠りにつこう。今日から、睡眠データを取り始めることに決めた。左手首には、あの人からもらったアップルウォッチを装着する。これを身につけて眠れば、深い眠りの中にいるときも、あの人に支えられているような、守られているような心地になれる気がするから。
今日という日は、ぼーっとした空白から始まったけれど、最後にはあの人の声という色彩で満たされた。明日、僕が最初に見上げる空には、どんな光が差しているだろうか。


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