朝日から空は機嫌がよかった。
熱がようやく37度台に落ち着いた。
体の芯にはまだ重さが残っているのに、心の奥だけは静かに澄んでいた。
昨日、あの人からもらえた満天の笑顔の光が、胸のどこかでふわりと灯り続けていたからだと思う。
週末は心が揺れやすかった。けれど先週からは波が穏やかだ。背中のどこかにそっと手を添えられているような、あの柔らかな温度が、揺れそうになる私を静かに支えてくれている。
今日は、これまで自分とは別の領域だと思っていた溶接の世界に初めて本格的に触れた。工場は休みで、営業の予定もない。現場の人の手元をじっくり見られる、めったにない時間だった。
美術館へ同行してくださった先輩が指導してくださる流れになり、その偶然がありがたかった。
最初に向き合ったのは、
溶接する金属の大きさを整える作業だった。
部品はほんの少しだけ大きくて、
Rという曲率のふくらみを抑え、
全体を少しだけ引き締める必要があった。
コンターマシンの刃が一定のリズムで降りていく。金属が少しずつ形を変えていく様子を見ていると、「削る」よりも「整える」という言葉の方がしっくりきた。
そして、いよいよ溶接へ。直流と交流の違い。鉄やステンレスは直流、アルミや真鍮は交流。本で読んだときは平面だった知識が、火花と熱の前では立体になっていく。
※溶接作業の動画です。
強い光が映りますので、再生の際は目への負担にご注意ください。
動画の「溶融池」。金属が熱で溶けて池のように液体になる部分。先輩の「ターミネーター2の液体金属みたいなやつ」という例えが妙にしっくりきた。ターミネーターは、USJのアトラクションにも昔あった作品だ。今は名探偵コナンのアトラクションになっている。
その流れで、USJであの人と過ごした空気をふと思い出す。またいつか、あの場所の風を一緒に感じたい。そのときは、まだ乗れていないハリウッドの夢のコースターにも挑戦してみたい。
そんな未来を胸にそっとしまい、再び目の前の学びに意識を戻す。
溶融池ができなければ母材同士は溶け合わない。逆に熱を入れすぎれば、金属はあっという間に崩れてしまう。その境界線は数字ではなく、“感覚”でつかむもの。「決まりはない。人によって違う」先輩の言葉に、技術の奥深さを感じた。
薄い板は熱をため込みやすく、連続で溶接すれば穴が開く。だから、点付けして冷まして、また別の場所へ移る。その繰り返しの中に、金属の呼吸のようなリズムが生まれる。まるで、金属が脈を打っているようだった。気づけば、自分の心拍もそのリズムと同じ速度で揺れていた。
なかでも、金属表面にランダムな弧状の研磨模様を刻むバイブレーション仕上げは、
光をやわらかく散らし、硬質なはずの金属に不思議な温度を与えてくれた。
今日あらためて感じたのは、
“知識として知ること”と“身体で理解すること”はまったく別の領域にあるということ。
熱の匂い、火花の音、金属がわずかに動く瞬間
どれも本の中には収まりきらない。
けれど、その一つひとつに、技術の核心が確かに息づいていた。
冷たいと思っていた金属が、熱と音の中では驚くほど“生きて”動いていた。その反応を見ながら、どこか自分自身の揺れや回復の過程を重ねていた。
昨日の私が知らなかった世界に、今日の私は触れた。
その小さな積み重ねが、ゆっくりと未来の私をつくっていく。
急がなくていい。
止まらなくていい。
ただ、ぼちぼち進めばいい。
こうして新しい技術に向き合える余白が生まれているのは、
あの人の光が、揺れやすい私の心をそっと受け止めてくれているからだ。
視線の向きを整えてくれるあの人の存在が、
私の中の“学ぶ力”を静かに支えてくれている。
その支えに気づきながら、
今日の私を、ここにそっと残しておく。


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