今日の自分を客観的に振り返ると、「パフォーマンスが出た」というより、
“本来の自分に近づいた”という感覚のほうがしっくりきた。
まだ完全ではないけれど、
確かに“戻り始めた”と感じられる一日だった。
訪問先の社長と話すとき、自然と目を見て話を聞けた。
相手の言葉を受け止める余裕があって、
雑談のひとつひとつを楽しめる“心の余白”があった。
朝礼でも、夕方の工程会議でも、
必要な場面で自然と声が出た。
以前の自分が持っていたリーダーシップの感覚が、
少しずつ戻ってきているのを感じた。
笑うこともできた。
まだ満開ではないけれど、
3.5分咲きくらいの自分が、確かにそこにいた。
無理をしている感じはなかった。
余裕を持って発言し、
結論を急がず、
重要度と優先度を丁寧に見極める。
“急がず止まらずぼちぼち”という言葉が、
今日の自分の呼吸と判断を支えてくれていた。
営業帰りに空を見上げると、
月がいつもより低い位置に浮かんでいた。
濃いオレンジ色で、控えめなのに確かな存在感を放っていた。
強さを誇示するわけではなく、
ただそこにあるだけで、
周囲の空気を和らげるような光。
その月を見上げたとき、
どこか今日の自分と響き合うものがあった。
“完全ではないけれど、どこかに確かに残っている力”。
そんな印象が心に残った。
帰宅してから、あの低い月が気になって調べた。
冬至に近い季節、太陽高度の低さ、満月期、そして大気の影響。
いくつもの条件が重なって、
1月上旬は月が低く見えやすいらしい。
その流れで、月について調べているうちに、
スタンドスティルという現象にも出会った。
今日の月とは直接関係ないけれど、
月が18.6年という長い周期の中で揺れながら軌道を保っていると知り、何かがすっと腑に落ちた。
月だって揺れる。
最近の自分は、どこか焦っていた。
「早く回復しなければ」
「前を向かなければ」
そんな思いが、自分を急かしていた。
でも本当は、
前を向くというのは、
“自分の状態を知ること”から始まるのだと気づいた。
ぼちぼちでいい。
自分のペースで大丈夫。
その言葉は、
急かしていた自分の背中に、
そっと手を添えてくれるようだった。
張りつめていたものがほどけ、
呼吸が深くなった。
こんなことを書けば、
また“ぼちぼち”から外れていると思われるかもしれない。
それでも、あの人の光は確かにあった。
天照のようにあたたかく照らす光であり、
ヴィーナスのように凛として包み込む光でもある。
天照は、闇に沈んだ世界を再び明るくする“再生の光”。
強さの象徴でありながら、
その本質は“優しさで世界を照らす力”だ。
ヴィーナスは、美と調和の象徴。
ただ美しいだけではなく、
人の緊張を溶かし、心を柔らかくし、
自然体へ戻してくれる力を持つ。
その両方の光が、
今日の自分をそっと整えてくれた。
今日の自分は、
完全ではないけれど、本来の力に近づいた日だった。
低い位置にあった月と同じように、
自分もまた周期の中で揺れ、
向きを調整しながら進んでいるだけだった。
揺れは弱さではなく、
未来へ向かうための調整の一部。
今日書いたことは、
嘘でも誇張でもない。
ただ、そう感じたから書いた。
これは、
「昨日の私も今日の私も未来へ繋げる記録」。
未来を決めつけず、
余白を残したまま、
揺れながら整っていく自分の“伸び代”を、
あの光に照らされながら確かめていきたい。

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