昨晩、ひとつの連絡が届いた。
「あの人も、きっと安心できたから連絡をくれたのだろう」と、どこかで思った。
書かれた言葉は丁寧で、慎重で、こちらを気遣う温度を含んでいた。
本を開いたまま夜が明けた。鼓動が落ち着かず、眠りは少し浅かった。
何かを決めつけるのはよくない。
まだ何も聞いていないし、何も始まっていない。
未来をひとりで固めてしまえば、その輪郭に自分が押しつぶされてしまうだけだ。
あの人からは、いつも光をもらっていた。
だからこそ、今は“何を言われるのか”という見えない未来の前で、立ち止まってしまう。
傷つくかもしれない痛みよりも、
その瞬間が訪れるまで揺れ続ける時間のほうが、少し堪える。
だけど、こうして言葉にできている時点で、僕はもう“ただ揺らされているだけの存在”じゃない。
揺れを観察して、名前をつけて、文章にしている。
それは、自分の心を守るための大事な動きだと思う。
だから、あの人が話したいと思ったときに、そっと腰を下ろせる場所を開けておきたい。
風よけになる壁のようなものでも、
湯気の立つお茶でもいい。
無理に引き寄せるのではなく、
その人の歩幅のまま辿り着ける“居場所”を、そっと整えておきたい。
これまで僕がもらってきた安心や温度を、同じ形で返せなくても、
言葉の選び方や姿勢の中に、少しでも感謝が滲んでいけばいい。
決めつけないという選択は、
この揺れの中で自分を守る、唯一の方法だと思う。
まだ分からない。
だからこそ、今はただ、この揺れを見つめていればいい。
焦らず、急がず、止まらず、ぼちぼちと、今日の自分の呼吸を確かめながら。
今日のこの揺れもまた、
昨日の私も今日の私も、未来へそっとつなぐひとつの記録。
「昨日の私も今日の私も未来へ繋げる記録」として、静かにここに残しておく。


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