昨日はバレンタインだった。
普段なら保てている心の距離感が、昨日は少し揺れやすかった。
無理に整理しようとすると余計に疲れてしまうから、こういう日もあると静かに言い聞かせた。
外はよく晴れていて、どこか賑やかな気配があった。
けれど、その明るさに触れる気持ちにはなれなかった。
知っている誰かに会うかもしれないという不安が、胸を締めつける。
適応障害の影響もあって、午後はとくに自分を責める感情が強かった。
だからこそ、家の中でできる小さな行動をひとつずつ積み重ねることにした。
まず、板チョコにチョコペンでプーさんを描いた。
あの頃いちばん自分を支えてくれていた存在を、もう一度、自分の手で形にしたくなった。
その理由については、また別のブログで触れたいと思う。
黄色や赤を少しずつ重ねていくと、ゆっくりと輪郭が浮かび上がってくる。
完成させることが目的ではなく、ただ手を動かす時間そのものが、心を静かに整えてくれた。
気持ちが揺れやすい日でも、こうして“作る”という行為に触れられたことが確かな支えになった。
出来上がったプーさんたちは、少しずつ表情の違う子になったけれど、あの人もどこかで笑ってくれた気がする。
もしほんの少しでも癒せていたなら、それだけで十分だと思えた。
次に、ズボンの小さな穴を補修した。
裁縫道具に触れるのは久しぶりで、まずは針に糸を通すところから始める。
小さな穴にゆっくり糸を通していく作業は、昔からなぜか得意だった。
縫い始めは少しぎこちなかったけれど、針を動かすたびに布が整っていく感覚が心地よかった。
気づけば1時間ほど集中していた。
未来の面倒をひとつ減らせたと思うと、気持ちが少し軽くなる。
百均の道具でも十分役割を果たしてくれるし、
いつか自分用の裁縫セットを持つのも悪くない。
クッションやぬいぐるみなど、立体のものもいつか縫ってみたい。
急がず、少しずつ整えていければそれでいい。
晩ご飯は、紅生姜を刻んだ卵焼きを作った。
特別な料理ではないけれど、台所に立つ時間は日常を取り戻すような感覚がある。
しんどい日ほど、できたことを静かに認めてあげたい。
誰かと比べる必要はなく、自分にとって十分だったと思えることが大切だ。
夜には、韓国語のリスニングを少しだけ。
集中力が長く続かない時期でも、耳から入る学びなら穏やかに続けられる。
ノートに単語を書き写しながら、ゆっくり音を追いかけていった。
振り返ると、派手な出来事は何もない一日だったのかもしれない。
それでも、生活の中に小さな整えを重ねられたことが、今の自分にはちょうどいい歩幅だったと思う。
「昨日の私も今日の私も未来へ繋げる記録」
その言葉が、昨日の午後に自然と重なった。
いつもより心が揺れた日。
その揺れも含めて、今の自分の一部として大切にしておきたい。
未来を急ぐ必要はない。
誰かに何かを押しつける必要もない。
ただ、自分の現在地を丁寧に見つめながら、光の差すほうへゆっくり歩いていければいい。
静かに、でも確かに、昨日も生きることができた。
その証として、この時間をここに残しておく。


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