今日はメンタルクリニックの日。
予約は8時半だったが、並ぶ時間を考えて少し早めに到着した。
おかげで待ち時間も短く、11時には診察を終えることができた。
今日の診察では、淡々としたやり取りが続いた。
「睡眠は取れているか」
「6時間ほど取れました」
「食欲はあるか」
「まあ、あるほうだと思います」
それだけの会話だった。
最後に傷病手当の申請書について相談すると、先生は「書くことはお安い御用ですよ」と言ってくれた。
ただ、治療としてはもう投薬で様子を見るしかないのだろう。
これ以上強い薬もないようだった。
自分の症状が回復に向かっている実感は、正直まったくない。
働けなくなって17日が経った。
この17日間、自分は何を成したのだろう。
人に誇れるようなことをしてきただろうか。
このブログに書いてきたことは、果たして誇れるものなのか。
自信が持てない。
死について考えてしまう日もある。
今日の食事が最後の晩餐になるかもしれない。
そんな極端な想像が頭をよぎることもある。
どれだけ丁寧に生きようとしても、
誰かの目には、まだまだ雑な生き方に映っているだろうとか。
そんな思いが、波のように押し寄せてくる。
朝も、昼も、夜も、
毎日、毎時間、毎分、毎秒のように。
「自分を褒めてあげましょう」
そう言われても、どうしてもできない。
胸の奥が固く閉じてしまって、
その扉を自分の手で開けることができない。
認めてほしい。
褒めてほしい。
誰かのひと言で、ようやく呼吸ができるような気がするから。
昨日の京都マラソンのことを思い返す。
録画していた、夜9時のダイジェストも見た。
画面の中のランナーたちは、みんな生き生きとしていた。
自分は暗い部屋で、スマホの小さな画面を見つめている。
なんてみじめなんだろう。
なんて小さな世界に閉じこもっているんだろう。
どうして自分は今こんな場所に立っているのか、何度も何度も問い直す。
生きなければならない意味を、反芻しながら自分に言い聞かせる。
今年は『マリオブラザーズ40周年』の記念大会でもあったらしい。
そんな特別な年に、自分は”選ばれた”
選ばれたのに、辞退した。
ランナー抽選の志望動機に書いた言葉
京都の病院に勤めて10年。 9月から、次のステージに挑戦することになりました。 今の職場の人たちには、たくさんのものをいただきました。 この京都が大好きです。 今の職場の仲間が大好きです。 その京都、その人たちに、 その感謝を走ることで返したい。 恩返しをしたい。
そう書いて、”選ばれた”
そう書いたのに、走れなかった。
悔しい。
悔しい、悔しい。
泣いて、泣いて、泣いても、泣いても、時間は戻らない。
成し遂げられなかった自分が情けない。
果たせなかった自分が苦しい。
他人から見たら、僕はのほほんと生きている人間に見えるのかもしれない。
平日の昼間に家にいるだけで、近所の視線が気になる。
ほんの些細なことでも、世界が窮屈になっていく。
自分は、誰からも必要とされていないんじゃないか。
そんな影が、追い払っても、また戻ってくる。
波みたいに、何度も押し寄せてくる。
今朝は走れなかった。
クリニックの受診があったのも理由だけど、
それ以上に、心のバッテリーがほとんど残っていなかった。
身体を起こすことでさえ、重く感じた。
だけど、昼には少しだけ息ができた。
曇り空の隙間から、かすかな光が落ちてくるみたいに。
午後、昨日に続いて、5キロを走った。
無心で、ただ前へ。
心の電池が切れないように。
ギリギリだったけれど、走りきれた。
首の皮一枚でつながっているような場所に立ちながら、
それでも僕は、今日の自分の現在地を確かめている。
かすかな光を、なんとか見失わないように。



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