洗礼の風に吹かれて

旅行

昨日から、どうにも気持ちが塞いでいた。芸術に触れ、ビジネスの視点に触れ、頭では多くの刺激を受け取っているはずなのに、心だけが置き去りにされているような、そんな感覚。だからだろうか、理屈ではない自然という大きな存在に触れたくなった。

行き先は、山だけでもなく、川だけでもない場所。僕は相棒のブーンに乗り込み、京都の北へと車を走らせた。市内を抜けて北へ向かうにつれ、空気が一段と鋭さを増していくのがわかる。今日は風が強く、そして酷く冷たい。

ふと、あの人からの光を思い出す。添えられていたのは、波のマークだった。あの人は今、海にいるのだろうか。こんなに冷たい風が吹く日だ。海風に吹かれて、身体を冷やしてはいないだろうか。寒暖差の激しい季節、喉を傷めて咳き込んだりしていないだろうか。どうか暖かく、穏やかに過ごしていてほしい。そんな願いが、北風に乗って空へ溶けていく。

北に近づくにつれ、山の稜線がくっきりと力強くその輪郭を現し始めた。そこには冬が終わるのはまだ先だと言わんばかりの、堂々とした雪が積もっている。

辿り着いたのは、叡山電鉄の終着駅、八瀬比叡山口。駅から数分歩けば、比叡山へと繋がるケーブルカーの駅がある。しかし、駅は工事中で閉鎖されていた。山の頂付近には40センチもの雪が積もるこの時期、今はオフシーズンらしい。

残念ながら上へは登れなかった。けれど、静まり返ったその場所を眺めているうちに、これで良かったのかもしれないと思い直した。あえてこの静寂の中に身を置くことで、あの人からもらったアドバイスを、より静かに実践できる気がしたからだ。

昨日の僕は、また弱い自分に堕とされそうになっていた。不安や焦燥に追いかけられ、いつの間にか呼吸が浅くなっていることに気づいた。だからこそ、この凛とした山の空気の中で、深く、深く息をしたいと思った。

大きく息を吸い込む。冷たい空気が肺の隅々まで行き渡り、思考の澱を洗い流していくようだ。そして、ゆっくりと吐き出す。目の前を流れる高野川のせせらぎと、山のしんとした静寂が、僕の乱れたリズムを調律していく。

時折、雲が太陽を遮るたびに、山の洗礼とも呼ぶべき冷酷な風が吹きつける。思わず肩をすくめるほどの冷たさだ。けれど、再び日差しが顔を出すと、まるで世界が僕を肯定してくれているかのような温もりに包まれる。この寒さと暖かさの繰り返しが、生きている実感を呼び覚ましてくれる。

あの人は、今どう過ごしているだろうか。ふと、記憶が蘇る。毎年誕生日を祝っていたこと。お花に囲まれて、心からの笑顔を浮かべていたあの人の姿。その笑顔を思い出すだけで、胸の奥が少しだけ熱くなる。

ゆっくりで大丈夫だ、と自分に言い聞かせると、ようやく呼吸が完全に整った。丸まっていた背筋をぐっと伸ばし、一日の平穏を願って山に一礼する。

ケーブル駅を後にした僕は、車内に戻り、相棒の中で静かに本を読んで過ごした。陽が落ちてくると、寒さはさらに厳しさを増していく。あの人はまだ海にいるのだろうか。

帰宅後、僕は昨日できなかった分を取り戻すように、腕立て伏せとプランクを始めた。身体を支える腕が震え、限界が近づく。その苦しさの中で、またあの人の笑顔を思い出す。あの最高の笑顔。そのイメージを糧にして、1分1秒、ギリギリまで耐え抜く。筋肉の痛みは、僕が今日を必死に生きた証だ。

こうして、今日も一日を終えることができた。明日は今日よりも少しだけ、深く長い呼吸ができるはずだ。そう信じて、僕は重たくなった身体を横たえた。

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