屏風のなかに守りながら

勉強

一休寺を後にした僕の足取りが軽くなった理由は、ただひとつ。
大切なあの人からのミッション、日向ぼっこをすること。
それを今日、この場所でクリアできたから。
あたたかな陽光に包まれながら、ただそこに在る。その時間が、何よりの薬になったのだと思う。

自宅に戻り、一人の時間を過ごしていると、ふと会社のことが頭をよぎった。
休職中である今の僕は休むことが仕事だと頭では理解している。
それでも、どうしても現状を考えてしまう。

昨今の原油高、不安定な国際情勢、そして激しく揺れ動く為替相場。
僕が関わっている地金の世界は、そうした外的な要因に非常に敏感だ。
今、現場はどうなっているのか。
価格の変動にどう対応しているのか。
考え始めると、胸の奥からじりじりとした焦燥感がせり上がってくる。

僕は、いずれ経営の一翼を担う立場にならなければいけない。
今はまだその立場にはないけれど、それが避けられない未来であるからこそ、現状を他人事とは思えない。
無視しようとすればするほど、責任感ゆえの重みは増していくようだった。

一度ゆっくり深呼吸をした。
あの人の教えてくれた呼吸法で。ふと、一休さんのとんちを思い出した。あれは単なる知恵比べではなく、深い禅の教えが詰まっている。

彼は、困難を力ずくでねじ伏せようとはしなかった。代わりに、その苦しみを、少し横にずらして見るという姿勢を取っていた。

たとえば、有名な屏風の虎の話。屏風から出てきて暴れる虎を捕まえろという無理難題に対し、彼はこう返した。

では、まず虎を屏風から追い出してください。そうすれば捕まえてみせましょう。

これは、相手の土俵に乗らず、前提をずらすことで、直面している苦難を無力化する智慧だ。今の僕の苦しみも、同じではないだろうか。

休んでいるのに仕事のことを考えてしまう自分を責める必要はない。仕事への責任感や焦燥感は、僕が将来背負うべきものを見据えて、真剣に向き合おうとしている証拠そのものだ。

無理に消し去ろうとするから、かえって苦しくなる。虎を追い出せないなら、捕まえなくていい。それと同じように、重荷を背負わなければならない時は、今じゃない。

だから、今は背負わなくていい。そうやって、苦しみを少し横に置いて眺める。

考えてしまう自分を否定せず、今日も未来のことを考えているな、それだけ覚悟があるんだなと認めてあげる。

背負うのは、その時が来てからでいい。今はただ、考えるだけでいい。

一休さんは、本来、苦しみを笑いに変える天才だった。
破天荒な振る舞いの裏には、常に苦しみを軽くするための智慧があった。
ふと思い返せば、かつての自分にも、そんな風に物事を軽やかに受け流す余裕があった気がする。
それは遠い記憶のようでもあるが、確かに僕の中にあったものだ。

僕はスマートフォンの画面を開き、BTSのツアーライブの抽選エントリー画面に進んだ。
抽選には一度落ちてしまった。
そのことを伝えたとき、大切なあの人は悲しんでくれた。
その優しさが胸に沁みたけれど、一度の落選で全てが終わったわけじゃない。
また挑戦すればいいじゃないかという前向きな気持ちが、静かに、でも確かな熱を持って胸の内にあった。

願いを込めて絵馬を奉納するように。
あるいは、未来の自分へ向けて大切な希望を預けるように。
僕はひとつひとつの項目を入力し、再びエントリーを完了させた。

結果がどうなるかは、まだ分からない。
けれど、こうして次に向かって指を動かせていること自体が、僕にとっての小さな、そして大切な一歩なのだと感じている。

あの人からのミッション。
夜空の星を眺めながら、そう思う。

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