不正解な僕らの、正解の探し方

読書
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ブログを読んでくださっている皆さんに、今日は少し驚かせてしまうかもしれないお話をしようと思います。

中学生の頃の同級生だったAAAの與真司郎くんが本を出版しました。彼は、自身が同性愛者であることを公表しています。彼が勇気を持って綴ったその言葉たちを読みながら、僕は静かな衝撃と、それ以上の深い共感を覚えていました。

実を言うと、僕も同性愛者です。

読者の皆さんには突然のカミングアウトになってしまいました。なぜ今、こんな話をしようと思ったのか。それは、このブログを書き続ける中で、そろそろ自分自身のことをもう少し深く知ってもらいたい、偽りのない自分として言葉を届けたいと願うようになったからです。

僕がこれまでのブログで中学、高校、大学時代のことをあまり深く語らなかったのには理由があります。その頃からずっと、僕は男性が好きでした。けれど、周囲が望むような「普通」の恋愛ができず、どこか現実感のない日々を過ごしていたからです。

彼との出会いは、中学生の頃でした。小柄で身軽だった與くんは、たくさんの友人に囲まれていました。僕もその中の一人で、彼の家に何度も遊びに行きました。実は、当時の僕は彼のことが好きでした。それは友人としての親愛を超えた、ひとりの男性としての「恋」でした。

中学生らしい、残酷で無垢な出来事もありました。ある日、友人たち10人が僕の家に集まり、いわゆる裏ビデオを流したことがありました。周りの友人たちが興奮し、興味津々で画面を見つめる中、僕は全く興味が湧きませんでした。異性に対して、心が動くことも、体が反応することもなかった。その時、「ああ、自分はみんなとは違うんだ」という確信が、冷たい違和感となって胸に突き刺さったのを覚えています。

実は当時から、與くんも同じではないかと気づいていました。理由はここでは伏せますが、直感のようなものだったのかもしれません。だからこそ、彼が公表したとき、僕は驚きませんでした。それよりも、彼が自分をさらけ出したことが、同じ痛みを抱えてきた僕にとって、言葉にできないほど嬉しかったのです。

その後、高校生になってからは異性の彼女がいました。3年間付き合いましたが、最後まで心から好きになることはできませんでした。彼女には申し訳ないことをしたという罪悪感があり、卒業を機に自然消滅という形で別れを選びました。

学生時代は、常に自分のアイデンティティに振り回され、ふらふらとしていました。異性を好きになれない自分は、どこか壊れているのではないか。そんな不安を打ち消すように、ある時、意を決してゲイビデオの撮影に応じたこともあります。心斎橋にあるアパートの一室、お世辞にも綺麗とは言えない汚い部屋でした。そこで3本ほど出演し、その時にようやく「自分はこれで興奮するんだ」と、自分の属性を突きつけられるように理解したのです。「自分は違うんだ」と、改めて自覚した瞬間でもありました。

今回、與くんの本を読んで特に感銘を受けたのは、人間関係における「2:6:2の法則」についてです。価値観が合わない人が2割、どちらでもない人が6割、そして、心から通じ合える人が2割。

今、僕には、その「2割」にあたる大切な人がいます。

趣味も好みも驚くほど合う、かけがえのない存在。ポケモンが好きで、ラブライブが好きで、同じ世界を見て笑い合える「あの人」。

與くんの本にも、大切な異性の友人のことが書かれていました。僕にとっての「あの人」も、性別を超えた魂の繋がりを感じる大切な存在です。僕が僕であるために、そして僕の人生を肯定するために、欠かせない光です。

これまでの人生、隠し通すことが正解だと思っていた時期もありました。けれど、今はこう思います。すべての生き方は正解であり、同時に不正解でもある。完璧な正解なんてどこにもないけれど、自分で選んだ道なら、それが僕にとっての真実です。

少し長くなりましたが、これが僕の本当の姿です。

これからも、この「僕」という人間が紡ぐ言葉を、変わらずに受け取っていただけたら嬉しいです。

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