忘れたい10年、目に滲む空

分厚い雲が空を覆い尽くし、光さえもどこか遠慮がちに届くような、そんな一日だった。

休職という時間に身を置いてから、僕の時計の針は、世間とは違う歪なリズムで刻まれている。流れているのか、それとも澱みの中に滞留しているのかさえ判然としない空の雲を眺めていると、得体の知れない絶望感と、鋭い棘のような焦燥感が胸の奥からせり上がってくる。

気づけば、目に熱いものが滲んでいた。

30代後半。世間一般で言えば、仕事では責任ある立場を任され、私生活でも確固たる基盤を築いているはずの年代だ。それなのに、今の僕には何もない。そう思えてならない。

「今やれることをひとつひとつ、積み上げていこう」

誰かが発した、あるいはどこかの本に書いてあったそんな言葉が、今の僕にはあまりに重く、そして空虚に響く。

「やれること」って、一体なんだろう。

自分自身を客観的に見ようとすればするほど、他人より優れている点など、砂粒ひとつほども見当たらないという結論に至ってしまう。かつて積み上げてきたはずの10年の歩み。それは本来、僕を支える糧であるべきものだった。しかし、今の僕にとっては、むしろ一刻も早く忘れるべき過去の遺物だ。その記憶に執着している限り、僕は一歩も前に進めない気がしている。

人望も、築き上げてきたはずのキャリアも、霧散してしまった。

何より、人間関係で擦り減ることに、もう心が耐えきれない。誰かと深く関わり、良好な関係を維持すること。そんな当たり前のことさえ、僕には向いていないのではないかという疑念が拭えないのだ。

かつての僕は、誰かとコミュニティを築き、共通の目標に向かって汗を流すことに喜びを感じられていたはずだ。確かに、そんな時期があった。けれど、今の僕には当時の自分が、遠い異国の見知らぬ誰かの話のように思えてしまう。自信という言葉の書き順さえ、忘れてしまったようだ。

自分はなぜ、生きているんだろう。

これから、どうやって生きていけばいいんだろう。

問いかけても、分厚い雲は何も答えてくれない。

日中は、何もする気が起きなかった。ただ、時間が過ぎていくのを待つだけの、静かな、けれど内面では嵐が吹き荒れるような時間。

夕食は、トマトカレーを作った。

と言っても、レンジで調理できる簡単なものだ。凝った料理を作る気力はない。けれど、自分で食材を選び、火を使わずとも「食事を整える」という行為そのものが、僕の生存を確認する小さな儀式のように感じられた。酸味のある香りが部屋に広がるとき、少しだけ呼吸が深くなった。

3日ぶりに再開したスクワットとプランク。

体が重く、心はもっと重い。けれど、これだけはやめなかった。一回一回、筋肉にかかる負荷を感じる間だけは、余計な思考が停止する。震える足と、床を見つめる視線。3日の空白を埋めるようなその痛みこそが、今の僕を「今」に繋ぎ止めてくれる気がする。

絶望感も焦燥感も、消えてなくなることはないだろう。明日もまた、僕は同じような空を見上げているかもしれない。

それでも、今日という一日を、トマトカレーと数分の運動でやり過ごした。

「忘れるべき10年」を捨て去るには時間がかかるだろうし、新しい自信を築く術もまだわからない。けれど、今はそれでいいのだと、自分に言い聞かせたい。

答えの出ない問いを抱えたまま、僕は明日も、停滞する雲の下で「今」を数えていく。

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