昨日、社長のご家族が亡くなられたという連絡があった。
私は体調不良ということで、参列を免除していただいた。
会社には、胃がんのことを伝えていない。
もし末期だったなら、きっと話さざるを得なかったのだと思う。
けれど、経営者になる身として、あの時の悲しみを誰にも繰り返してほしくなかった。
そう思うようになったのは、9月に社員さんがひとり亡くなられたからだ。
私が入社したときにはすでに闘病中で、どんなご病気だったのか詳しくは知らない。
朝礼で泣き崩れた社長と社長夫人の姿を、私はすぐ隣で見ていた。
あの光景は、今も胸の奥に残っている。
私はもう、人生を投げ出そうなんて思わない。
今日が一番若く、今日が一番活力のある日。五体満足で、言葉も話せる。精一杯生きないでどうするのだろう。
大切なあの人は、昔のアーティストの曲もよく聴いていた。
坂井泉水さん。
もともと好きだったけれど、あの人に出会ってから、知らなかった曲に触れ、その魅力をさらに深く知ることができた。
彼女はどんな気持ちで言葉を紡ぎ、どんな景色を見ていたのだろう。
今では、その一つひとつが私にとって大切な手がかりになっている。
『負けないで』
今聴くと、また涙が溢れてきた。フルマラソンを走っていた頃、40キロ付近で流れるこの曲に何度も助けられた。音楽に背中を押された瞬間は、数えきれないほどある。ただ、この曲にもらえる応援の熱はどの曲にも変えられない唯一無二だと思う。
またマラソンを走りたい。
生きている実感と、命が確かに鼓動していることを抱きしめながら、あの曲に耳を傾けたい。

京都マラソンには当選していたけれど、今の身体では走れないと判断し、今回は見送った。
それでも、いつかまた走れる日が来ると信じている。ゆっくりでも、その未来へ向かっていきたい。
大切なあの人に出会ってから、私は初めて「曲そのもの」だけでなく、その曲が生まれた背景や、込められた想いまで知りたいと思うようになった。
あの人がどんな気持ちでその曲を聴いていたのか。どんな景色を見て、どんな言葉に救われてきたのか。それを知ることは、あの人の人生観に触れることでもある。
エッセイを読んだり、展示会に足を運んだり、実際に曲の息づかいが残る場所に触れてみたいと思う気持ちが、今はすごく分かる。自分の考えに固執せず、いろいろな人の意見に耳を傾けること。それが今を生きる人でも、この世にいない人でも、そこに宿る言葉や作品には確かな重みがある。
生きている人の声は、今の時代の風を含んでいる。もう会えない人の言葉は、時間を超えて残った「本質」だけが静かに響く。その両方に耳を澄ませながら、自分の人生を少しずつ整えていきたい。
痛みも迷いも、学びも憧れも、すべてがこれからの自分を形づくる力になる。そしてそのどれにも、あの人と出会えたことが深く関わっている。
まだ知らない世界に触れ、まだ出会っていない言葉に出会い、自分の人生をもっと豊かにしていきたい。
私はこれからも、生きることを選び続ける。新しい景色を見に行くために。新しい自分に出会うために。
そして、あの人の言葉や音楽に救われたように、いつか私の歩みが、誰かの小さな灯りになる日を信じて。私は、今日も自分の歩幅で前へ進む。未来は、まだいくらでも変えられるから。
来年2月6日、大阪フェスティバルホールで坂井泉水さんの歌声と映像が生演奏と重なる特別な夜がある。
あの人と一緒に見られたかもしれない未来を、ふと想像してしまう。
当選の機会は逃してしまったけれど、この小さな痛みも今日の記録として残しておく。
たとえ数年先でも、いつかまた音に会いに行ける日が巡ってくると信じながら。


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