感謝を数えながら生きる

思い出

朝、見上げた青空は本当に気持ちが良くて、どこか清々しい1日の始まりだった。

けれど、一歩工場に入ればそこは別世界。容赦のない熱気が立ち込め、今日もめちゃくちゃ暑い中での作業となった。

実は、今日は母の誕生日だ。

年齢を数えれば、もう70歳も目の前。月日が流れるのは本当に早い。

朝のうちに、母へお祝いのメッセージを送った。「いつもありがとう。これからも長生きして、元気でいてね」と。

言葉にすればそれだけだけれど、本当は心の中で、送れなかった言葉がある。

「こんな親不孝な息子でごめん」

母はここ数年、ほとんど家から出られない状態が続いている。

もともと持病の喘息があったことに加え、コロナ禍をきっかけにすっかり出不精になってしまった。

思い返せば、母の喘息は、僕たちの家族経営の会社で働いていた頃から始まっていたように思う。

自分がまだ小学生だったあの頃。

母にとって、姑(僕の祖母)の目が光る職場で働くことは、想像を絶するストレスだったに違いない。

それに加えて、僕という息子が不出来だったことも、母を追い詰めていたのだろう。

当時の母の教育は凄まじかった。時には包丁を向けられるような緊迫感の中で、僕は勉強をしていた。今思えば強烈なスパルタだったけれど、それだけ母自身が精神的にギリギリの、相当なストレスを抱えていたんだと、30代も後半になった今の僕ならよく理解できる。

どんなに不器用で激しい時期があったとしても、僕をここまで育て上げてくれたことには、本当に感謝しか残っていない。

そりゃあ、今の自分の職場環境に対して、何ひとつ不満がないと言えば嘘になる。

「将来は社長として入社してほしい」

そう言われてこの世界に入った。言葉を選ばずに言えば、騙されたと言っていいくらいのギャップがある。実際、今の僕は一介のヒラ社員だ。これが自分が適応障害になった大きな理由のひとつでもある。

だけど、今は「これは必要な下積みなんだ」と自分に言い聞かせ、泥臭くもがきながら働いている。

たとえどんな状況であっても、母への感謝の気持ちが揺らぐことはない。根にあるのは、僕のことを心から想ってくれた優しい母親だと、ちゃんと分かっているからだ。

だからこそ、心の中で繰り返してしまう。

こんな情けない息子で、本当にごめん、と。

30代後半を迎え、これからはもっともっと、母親を大切にしていきたいと強く思う。

そのためには、まず僕自身が心の病気をしっかりと治して、前を向くこと。

そして母の体の病気も、どうかこれ以上悪化せず、穏やかに過ごせるように。

今日という日を節目に、周りへの、そして母への感謝の気持ちを毎日噛み締めながら、一歩ずつ実直に生きていきたい。

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